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旅する力

e0117945_2054155.jpg 沢木耕太郎/著
誰もが憧れ、夢見た〈深夜特急〉の旅。
遂に、あの旅が、終わる――。
何万もの熱狂的読者を持ち、
バックパッカーのバイブルと呼ばれ、
既に古典の風格すら備えている『深夜特急』。
第三便の刊行から十六年の時を経て、
遂に〈最終便〉が走り出す! 
本編には書かれていない裏話や、
沢木耕太郎ができるまで、ともいうべき
デビュー直後の秘話など、
旅に関する文章の集大成となる、
初の長編エッセイ。
発売日 : 2008/11/28









なかなか借りられず、ずいぶんと待ちました。 
のっけから、ちょっと嬉しい記述が。 
その小さな旅がすべての始まりだったのかもしれないという一節
沢木氏が池上に暮らしていたといのは、こないだ’無名’で知ったところですが、
この一文では、友だちの家に行ってて、ある日曜、友だち一家はマツザカヤに行くというので
帰宅した沢木少年は、どうしてもマツザカヤなるところに行きたくなって、
大森駅からひとりでキップを買ってでかけたという。 小学生のころのことです。
奇しくも、私はよく母に連れられて大森駅からマツザカヤに行ってたのでした。
あの頃は、やけに遠いところに行ったのだと思ってました。 
マツザカヤはふたつあり、御徒町、銀座、どちらかわからなかった沢木少年は
御徒町を選んで、アメ横を歩いたりの冒険となったらしい。
マツザカヤがすべての旅の始まりとは、ちょっと嬉しくなってしまったのでした。
でも、あくまでも私は連れ歩かれたので、少年がひとりで行こうと思って
実行したのはそれだけで尊敬に値します。  
それから気になって、沢木氏と地域のつながりを検索していくと、
沢木氏が通ったお店に 大森の鶏料理’葡萄屋’がでてきて、これにもビックリ。
アクセルママたちや家族とちょっと昔はよく行ってたお店なので、
何か余計な親近感がわいてしまいました。
それからの沢木少年は、よくご両親が許したと思われるひとり旅を繰り返してるのです。
もとより利発な少年だったのでしょうから
あたりまえのように、見守ったご両親なのかもしれませんが。
本当に、かわいい子には旅をさせよ、っというところなのでしょう。
あの深夜特急の旅に出る顛末、書くに及ぶ顛末、
思い描いていたのとは違いました。 
けっこうな孤独や不安もかかえながら、言葉もわからず、それでもぶれることなく
予期せぬできごとに対峙したのは簡単ではなかったのだとわかりました。
少し前に読んだ、ベトナム旅行の本の巻末対談に、
高峰秀子が、夫の松山善三が、’あんなおもしろい本を出したら
日本の若者がみんなマネをして海外に飛び出していくだろう’と、
’でも沢木さんのように頭がよければいいが、危ない’というような意味あいの
くだりがあり、その通りだと思ってたのでした。
この本にも、そんな、若者のこと、仕事をやめていく人、
彼女をおいて出て行く人のことなどもでてました。
あの情報が少ない時代に、安全を確保するのは大変だったのでしょうが、
イチがバチかみたいなところも、その判断が重要なのですね。
旅には適齢期というものがある、その年齢にふさわしい旅がある。 というのも、ごもっともですが、
それが沢木氏の文章となると、説得力があって、今一度考えさせられます。 
旅の集大成として 印象的なのは
旅は偶然に満ちている。さまざまな偶然が旅を変容させていこうとする。
たとえば、いくら厳密な予定を組んでいたとしても、予期しなかった
できごとに遭遇して変化を余儀なくされる。...  
 
というようなことですが、思いもよらないことに晒されて、訓練され、
柔軟に対応できる力を得る、という内容にも、沢木氏だからこその
重みがありました。 
同じような旅をしてる人も世の中にはいっぱいいたのでしょうが、
バイブルとまでなる旅とその報告は、今もって新鮮にワクワクしながら読めるのだと思います。
こんなにもときが経ったのに不思議です。
この本にもワクワクするような箇所がいっぱいありましたし、
思うところいろいろあったのに、感想がうまく書けないのがもどかしいです。 
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by kimikitak | 2010-06-23 21:07 |

無名

e0117945_1958229.jpg一合の酒と一冊の本があれば、それが最高の贅沢。
そんな父が、ある夏の終わりに脳の出血のため入院した。
混濁してゆく意識、肺炎の併発、抗生物質の投与、
そして在宅看護。病床の父を見守りながら、
息子は無数の記憶を掘り起こし、
その無名の人生の軌跡を辿る―。
生きて死ぬことの厳粛な営みを、
静謐な筆致で描ききった沢木作品の到達点。

幻冬舎
2003年9月 1,575円
  
 
旅する力をリクエストしていたのに、長らく待ち人数3から全く進まずイライラ。
棚にあった沢木作品を借りて帰ってきました。 
父上の看取り、時を追っての介護の記録ですが、 
有名な息子が敬愛する無名の父。 
有名な父を描くのとまた違う、親近感がありますが、 
ここまでの敬愛を表せるのは、息子の来し方に対する父の理解と
ご自分の自信が満ちているからだろうと、
さもしい想像をしてしまいました。 
親の最期のときは、今おかれている状況によって各々
できることは違ってくると思いますが、このご家族の看取りは、
とても幸せな最期、89歳の往生と思えました。
沢木氏の生い立ち、プライベートなことなど、
すっきりと正直に語られて、気持ちが良かったです。
生涯、持ち家をもたなかった、定職をもたなかったお父上、
1年間だけ小説家を志した父上、その間家計を支えた母、
小説家をあきらめた父ではあっても、息子がみごとに無名を超えたのは
どんなにか家族は嬉しかったことでしょうか? 
沢木氏が、幼い頃育ったのが、池上だったのを知り、
全くもって関係ないけど、
池上第二小学校を卒業した私は、ちょっとまた別の感慨を
いだきました^^ 単純です。  
 
  
 
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by kimikitak | 2010-05-21 20:25 |

ベトナム、ソウル

e0117945_182532.jpg2003年2月に講談社より
刊行され、再編 講談社文庫(2006年5月) 
「1号線を北上せよ」という内なる声に
従って、ホーチミンからハノイへの旅
沢木耕太郎ならではの、旅のスケッチ  
巻末には、「旅が教えてくれたこと」という
高峰秀子との対談が掲載されている。
解放前のサイゴンには行かなかったのに、 
なぜベトナムか? その理由の一つに
産経新聞特派員だった近藤紘一氏との縁、
その著作からの触発されたことなどが
描かれていて、少し嬉しくなった。 
私がベトナムに行ってみたかったのは
近藤紘一の本を読んだからであって、
「あ、近い!」などと、おこがましくも
思ってしまったのでした<(_ _)>
若いときとは違う沢木耕太郎の旅の内容は、
これがまた、とても奥深く、おもしろく、
しかも上品で素敵だと思った。
沢木耕太郎が、旅のお伴に持っていった
本は、林芙美子の「浮雲」 
それも読んでみたくなりました。

e0117945_18581340.jpg24年間拉致されていた
蓮池薫さん 
昨年、私が行った韓国、そのときに目にした
きれいな躑躅チンダルレを調べていたら、
蓮池さんの情報がでてきた。 
ブログも持っていらっしゃるらしく、
その内容が、この作品にまとまっているらしい。 
これを読んで蓮池さんは、立派な文章家なのだと
また、おこがましくも思いました。
北で、日本語に訳す仕事もこなしていらしたらしいし、 
現在は、翻訳家、通訳者、教壇にもたっていられる
ので当たり前かもしれないですが、
とても内容にも文章にも惹きつけられました。
内容は多岐にわたり、日常的なことから歴史まで、
興味深いことが盛りだくさんに描かれていました。 
それも、未だ解決していない拉致問題の重石を
かかえながらの配慮が伝わって来て、このことを
日本人はいつも忘れてはならないと、あらためて
思いました。
北朝鮮での暮らしの中のことで、ひとつとても
ビックリしたのは、キムチを漬けるくだり、
これを失敗すると厳しい食糧事情を乗り切れないらしい。
重要な保存食品ということです。
キムチを漬ける時期には、一人あたり、300キロの
白菜が配給され、蓮池家では4人で1200キロもの白菜、
大根は一人当たり50キロ、この半端じゃない量との
悪戦苦闘など、淡々とおもしろく書かれていましたが、
ちょっと意外でビックリしたわけです。  
この本では、帰国されたときよりもふっくらした
蓮池夫妻のソウル紀行写真などもありました。  
  
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by kimikitak | 2010-03-04 19:31 |