萩原葉子

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ちょっと前までダンスに熱中していた母はもう、
自力で歩けない身体になっていた――。

母は詩人・萩原朔太郎の娘にして小説家。
母一人子一人なのに、ずっと離れ離れに暮らしてきた。
ところが、ひさびさの電話で呼び出されてみれば、
家の中は滅茶苦茶で、すぐ介護が必要な緊急事態。
その日から、親を怒鳴ってばかりの息子と母の、
最期の同居生活が始まった……。死から三年。
「親不孝な息子」が綴る、静かで切ない鎮魂のうた。

読もうと思いつつ
後回しになって、ようやく借りてきました。
名ばかり知ってるだけの萩原朔太郎。
偉大な父親を持つのは、大変なのかも!
愛情いっぱいに育ったわけでもなく、
母は出奔し、厳格な祖母に育てられ、
結婚し、息子を産んだはものの離婚して、
自活の道を模索しつつ、自分を捨てた母を引きとり、
からだの不自由な妹もいっしょに、生計をたてる。
洋裁で稼いだり、教師を志したり、悪戦苦闘があった
のちの文筆生活。  
この本には、写真も載ってますが、娘を捨てて家を出た母、稲子と
いう人、瓜実顔でとても美人。とても印象的。
最後まで息子の視線で、淡々と綴られてます。 
これが、娘だったらどうなのでしょうか? 生活も違ったかも。 
息子とは、中学生くらいから、一緒にいることも少なく、 
各々が別々に、よくいえば自由に、暮らしたあげくの死に際へ。
別々に暮らした息子にSOS、そのときはもう、立つことも難しかった。
一緒に暮らして186日後には、
 親のラストシーンの舞台に、今自分は観客のように立ち会っている。そんな思いがした。
 病院で、二人だけの臨終を体験するとは思わなかった。
 親不孝な一人息子にしては、奇跡的な出来事だ。
 自然な、静かな、夢の中の出来事のような、本当に静かな旅立ちだった。
 という最期のとき、なんといい終わり方だろうか... 
その186日間の始まりは、不要物の山=ゴミとの闘いから。 
これは、この話を読まずとも、自分のものは自分で処分して
死にたいと思っているので、常日頃、頭の片隅においてあるのですが、
著者のゴミの描写を読むにつけ、新たにまた気がひきしまるようでした。

62才からダンスを本格的に始めたとういう母、
老化を自覚し、抵抗手段として夢中になった、老いの恐怖から逃れるため
との息子の解釈は、なんとも手厳しい。 
小説家であることも、ダンスを休まず続けることも、
決して手をぬかないまま、あらゆる努力をした人のようです。 
現在の映像作家、演出家、男性俳優、エッセイスト多摩美術大学教授という
息子のクリエイティブな生業、母の望むところだったようで、
チャランとした生活からそうなるまで、あらゆる援助を惜しまない、
ちょっと私には程遠い、母の像をみたのでした。
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by kimikitak | 2010-03-30 19:58 |
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