景福宮 キョンボックン ②

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12万6337坪と 広い広いキョンボックン、
お宝がいっぱいで見ごたえのある名所でした。
景福宮内には勤政殿(クンジョンジョン・国宝第223号)、
慶会楼(キョンフェル・国宝第224号)、
慈慶殿(チャギョンジョン・宝物第809号)、
慈慶殿十長生煙突
(シッチャンセンクルットッ・宝物第810号)、
交泰殿峨嵋山煙突
(キョテジョン・アミサンクルットッ・宝物第811号)、
勤政門(クンジョンムン)と
行閣(ヘンガッ・宝物第812号)、
風旗台(プンギデ・宝物第847号)、
敬天寺跡十重石塔
(キョンチョンサジ・シッチュンソッタッ・国宝第86号)、
法泉寺智光国師の玄妙塔
(ポンチョンサ・ジグァングッサ・ヒョンモタッ・国宝第101号)
などなど数多くの文化財
(国宝7点、宝物−国宝と重要文化財の間11点)があります。

ソウルナビより

美しい庭園を歩きながら、のんびり写真を
とりあったりする観光客。
でも知るほどに心に響く日本とにかかわり。

復元工事は2025年に完了の予定!
景福宮は1592年(宣祖25年)、
豊臣秀吉による壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の
戦火によって全焼するという悲運にみまわれ、
それ以降、王宮としても不吉だという理由で
273年もの間、再建されなかったそうです。
しかし1865年(高宗2年)、
興宣大院君(フンソンデウォングン)が
再建に着手し、1868年(高宗5年)に
創建当時の規模に復元。
同年7月には高宗が昌徳宮(チャンドックン)
からこの地に王宮を移しました。
しかし1895年(高宗32年)、閔妃(ミンビ)が
日本人の暴徒に殺害されるという事件があり、
翌年2月に高宗皇帝がロシア公館に
避難したことで景福宮は王宮としての
運命を終えることになりました。
そして1910年、日韓併合によって
国権が強奪されるや、
景福宮内にあった約200の殿閣のほとんどが壊され、
慶会楼(キョンフェル)と勤政殿(クンジョンジョン)などの
10棟のみが残り、日本が勤政殿の南側正面に
朝鮮総督府庁舎を建てることによって、
景福宮の景観は完全に破壊されてしまいました。
日本の植民地から解放された後の
1945年から朝鮮総督府は政府の中央庁舎、
その後は国立博物館として使われていましたが、
景福宮復元事業(1991年6月5日起工)に合わせて
1996年11月14日に総督府の建物が
完全に撤去されました。
そして現在も少しずつ景福宮のもとの姿を
取り戻すために復元工事の真っ最中。
この復元工事は2025年!にようやく終わりを迎えるそう!
復元の基準は景福宮が最後に完成した姿で
あった1868年時点で、
その当時の姿を再現する予定です。

...ソウルナビより...

守門交代式のあった あの場所に
日本の朝鮮総督府庁舎があったと聞き、
とてもびっくりしました。 しかも撤去された
のが割と最近であるとは、さらに驚きました。
なお、このキョンボックンの山側に
大統領官邸 青瓦台(チョンワデ)があるそうです。


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この白黒の鳥は カササギ だそうです。
この鳥は各地でみかけましたが、
行動もかわいく、飛ぶと鮮やかです。
上のピンクの花は、チンダルレ 山ツツジ?
さだかではありませんが、花が終わったあとに
葉がでてくるようです。
日本だと 三つ葉ツツジ?
ツツジは種類が多いので判別がむずかしい~
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by kimikitak | 2009-05-18 09:24 | 韓国
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